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2024/09/16 04:50 |
いじめられる側も問題があるは嘘だ。いじめる側がすべて悪い。
いじめられる側にも問題がある、とよく聞くが、いじめられる側の問題とはなんだろうか。

暗いから、目立つから、運動音痴だから、太っているから、それとも不潔だから、
だから、いじめた?

いじめれている子が、言い返さないから、なんでも言うことを聞くから、
だから、いじめた?

いじめていい理由なんかない。 絶対に!

人間は誰でも欠点はある。その欠点を取り上げて、さらし者にする。
それをやる権利をもっている人など、いるはずはない。

「いじめられる側にも問題がある」は、いじめている側、見てみぬふりをしている人の勝手な言いぐさだ。

日本には、「喧嘩両成敗」という言葉がある。
喧嘩をするのはどちらにも原因があるという考えだ。

それと同じで、いじめも、いじめる側にもいじめられる側にも原因があると思っているのだろう。
しかし、いじめられる側には非は無い。

喧嘩両成敗でさえ、甲州法度之次第には、「喧嘩はどの様な理由があろうと処罰する。ただし、喧嘩を仕掛けられても、我慢した者は処罰しない」とある。

理由も無くいじめられ、じっと我慢した人に「お前にも問題がある」とは、決して言ってはいけないことだ。
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2008/09/03 21:13 | いじめ
弱いからいじめられるのではない。いじめる側の心が弱いのだ。

いじめられるのは、弱いから?いくじなしだから?

いじめている側は強いのか、自分の苛立ち・不満・不安の気持ちに負け、はけ口としていじめをしているのではないのか。 弱い心だから、いじめをする。
いじめは陰湿な暴力。暴力を振るう人間を強いというのは誤りだ。

傍観している人は強いのか、やめろというと今度は自分がいじめられる。
やめさせないといけないとわかっていも、それができないのは、弱い心だから。
見てみぬふりをしているのは、いじめている人間の共犯者。
共犯者になってはいけない。
強くなろう。
 


2008/09/04 07:08 | いじめ

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